ブログ

消す時恥ずかしいので説明とかはないです

明日、小学校時代一人しかできなかった友達に会います

今、コンビニでサラダを買って食べようか悩んでいる

 

それ自体に意味はないのだが、どうにも暑くて外には出たくないし、かと言って何か作って食べることは面倒に感じてしまう

 

妹の夏休みが終わった 私は人に対して献身的になることは好きだが、自分に対しては目に見える変化でもない限りあまり手をかけることは好きではない

 

つまり、自分一人のためにわざわざ飯を作るというのは気分に反している

 

一人だと何もできなくなる

スマホを見ては何をするか忘れ、思い立ってスマホを閉じるとやらなければいけないことがスマホの中に保存されているのでまたスマホを立ち上げて無に帰る

 

そんなことを毎日繰り返している

 

メモにやることを書く そのメモをなくす

 

不安になる いつもしていることをして気を紛らそうとする

 

スマホを開く

 

最悪だ バイトの時間だ

 

結局日中出ようと日が落ちてから出ようと汗だくになるのだ

 

バイトで客と喋る

 

なんだか言いようもない感情に胸が支配され、ジワリと汗がにじみ、顔が溶け、イケメン大学生の先輩たちと他愛ない会話をし 酒を運び 彼らの眩しさと顔がテカっているだけの陰気な私の住む世界の違いに爽やかさと少しの仄暗さを感じる

 

そうして私は金を得て、人に会い、美味しいものを食べて、様々な会話をする

人に会うために可愛い服を買ったりもする 最高!

 

でも最近人の話を聞くのが下手になってきた 話すこともだ

 

多分、日常に潜む面白いものに対するレーダーが低下し、こうして自己分析し続けてばかりいるからなのだと思う

 

自分の話しかできなくなってきた 大変にまずい

 

面白いものを見に行かなくては 何かを拾ってこなければならないのだ

 

拾う、というよりは勝手に自分のポケットに入ってくるという感覚に近いが

 

明日、小学校時代一人しかいなかった友人に会う

 

彼女は私とは真逆の理系で、人工知能の研究などをしており、高専に通っているので同い年ながらもう就活のために東京に来ているというわけだ(言い忘れていたが私は福岡出身で、彼女はその頃の友人です)

 

彼女は私の知らない世界を知っているし、私は彼女の知らない世界を知っている

でも幼い頃二人で過ごした記憶だけは共有しているっぽい

 

彼女と東京を歩く瞬間にしか脳のポケットに飛び込んでこないものを、あしたは集めてこようと思う

 

脳言語的な文章になって来たが、つまりは

 

散歩中うまく気を抜くことでしか見つけられない花もあるし、目的地のことだけ考えていなければ遅刻するという場面もある

 

使い分けだ

 

今の私には少し気を抜いて、思いついたことを書き留める時間が必要な気がして来た

 

コンビニでサイダーでも買って、3分だけ散歩をしよう

 

行って来ます

無償の愛を注ぐこととまつ毛エクステの1000円引きクーポンをくれることは母にしかできない芸当なのか

今日は休日だったので、まつ毛エクステをつけに行った

 

動機はメチャクチャ暇だったから、というのを前提に置きたい

 

まあ、端的に言うとまつ毛エクステは自分自身ではなく人の趣味なのだが、しなよといわれたのはもうだいぶ昔の話のような気がする

 

当時は「ハァ?メイクなんか自分の顔の問題なんだしよっぽど酷くなきゃ人につべこべいわれるような問題じゃねぇんだよボケが 俺の顔がそんなに酷いか?(そこそこ可愛いのでは?いややっぱりあんま可愛くねえな)みたいな気持ちを日々抱えて生きてるんだよ プロフェッショナルでも私自身でも無いくせに色々口出ししてくんなボケ 毎日こちとらみんなに少しでも可愛いと思われるために少ない給料かけてんだよバカッ なんか言いたいならちょっとは嘘でも可愛いとか言ってごきげん取ってから提案しろッ」と思っていた(拗ねていました)

 

しかし私も人からの評価を気にする方なので、メチャクチャ暇だとそのような無駄(もしマツエクしたらもっと可愛くなれるのでは?)について考えてしまう

 

そう、やるしか無い

 

マツエクした

 

超〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜薬が目に染みた

誰だマツエクしなよとか言ったやつ 表出ろよ 教育してやろうか

 

しかも痛すぎて泣いたら家に帰るのためらうくらいブスになった

最悪なのか?

 

だし、マツエクを勧めたヤツにマツエクしたことを伝えようとしたらなんか色々忙しかったりで無理っぽい感じになってた 連絡マジでつかん ゲボ

 

こうなったら意地でもマツエクを見せつけるぞの気概だ

 

1時間かけて家に行きピンポンしまくった(近所迷惑なので3回)

 

電話もかけまくった(必要以上に怖がらせたくないので3回)

 

家にいないのでよくいる店で4時間待った

 

メチャクチャ待っていたが本人に「まだいるんですか?」とかラインで言われて、(居ますが(怒))みたいな気持ちになったりもした

 

私はマツエクごときに何をムキになっているんだろうか

 

店の常連さんたちもなんか慰めてくれた

 

そしてなんやかんや時間はたち、待っていた人がきた

 

大興奮の常連 店長

 

おい!この子お前のこと待っててくれたんだよ〜〜〜〜〜〜〜!!!!!の嵐だ

 

しかし、目を合わせてくれない

 

実はこの夜の前に色々あり、私の一言がトリガーになって精神的に負担をかけてしまったので、連絡が取れなくなっていたのだった そりゃ気まずいね

 

私はそんなことより、どれだけ時間がかかっても会えたという安心感で全てがどうでもよくなっていた

 

怒りも悲しみも喜びも通り越して、そこには安堵があった

 

一番に滑り出した言葉は「マツエク、したんだけど」だった

 

返答は『おぉ・・・』だったけど、もうなんでもよかった

 

私は自分の暇つぶしにマツエクをしたのだし、自分自身が信じた可愛いと思うものを装備するためにマツエクしにいったに過ぎないのだ なんなんだ

 

付加的に可愛いって言わせられたらめっちゃラッキーだよね だ そうだろ

 

でも付加があればあるほど頑張ろうって思えるねとも思った

 

だから私は小さなことでもいいから全力で大事な人のことを褒めてやろうと思った

 

他人にとって母のような存在(この場合の母とは肯定的なニュアンスではなく、なんでもいうことを聞くと思ってある程度舐めた真似をされる存在ということです)にはなりたくないけど、無償の愛や信頼は大事な人に余すことなく伝えられるようになりたいのだ そういう母性 というか甲斐性のようなものは欲しい それの作用によって見える世界、見せてもらえる世界が必ずあるから

 

私は恋人がいらないと常日頃言い散らかしているし、それは自分の信念が揺らぐようなリスクを最小限に抑えるという意味での判断なのだが

 

人を甘やかしたくないわけではないし、甘やかされたくないわけでもないのだ

 

自分を褒めたり、受け止めてくれるような存在は確実に誰しも必要で、一般的にその役目は家族、もしくは恋人などに委ねられるケースが多い

 

だがそれが友人だと適応できないかというと私はそうではないと思っている

恋人を作ると一人のことしか必然的に受け止められなくなる部分も出て来るし、性によって感情が支配されることはなるべく避けたい 私にとってはややこしそうなので

 

友人関係なら大切に思う多くの人を同時に褒めることができるし、いくら褒めたってなんの問題もないのだ 歪んでいるのかなと自分でも思ったりするし、それによって多くの人を苦しめている自覚もあるが、私が今したい生き方はこれだ

 

ただ私にも人に対する大切の度合いはある そこは理性を持ってなるべく多くの人を誠実に愛せるようにと努めているが、至らず問題を起こすことは多い 

 

こんな大義名分を吐いたところで私は聖女ではないからだ

所詮はただの人がこのようなことをしようとうまく行くはずがないことは分かっている

 

 何をしたって結局はエゴになってしまうし、自分の信じる道を極めたい一心で、若さにかまけて世の中に甘えさせてもらっている 手遅れかは私が決めるので心配はない

 

色々言ったが、人を甘やかすばかりではいつか共倒れが必ず来る

だから、甘やかすも手厳しくするも関係性によって自由だが、自分の信念に反することは絶対にしないということが正解なのではないかな、と足りない頭で思ったりした

 

可愛げのない女ですね でもたまには可愛いって言ってね 本当は毎日が良いけれど

 

肌に悪いので寝ます

タイトルとかいつもよくわからない 多分「内省」とかがいい

なんかブログ始めたくなっちゃったような気がして、やったほうがいいような気がしてきたので書いていますが、メチャクチャ自信がない

 

なぜなら私は昔ネットに腐るほどブログを量産しまくっていたから

 

見事に全部今やってない どのメールアドレスで登録したとかパスワードとかもあんまりよく分からないし、思い出してアクセスしても全部面白くなくて最悪

 

いつもなんとなくで始めてはやめていくのに、何故わざわざ始めるのか意味が分からないが、日常についてさらっと書いてみたり、脚色して面白っぽくしてウケ狙おうともしたこともあるし、夢小説とか書いてたこともあるし、どんな用途としてブログを書こうとしても途中で飽きたり恥ずかしくなったりしてやめていた

 

ブログを書く理由なんて普通になんか言いたいことがあるだけなんだ 普通に言いたいことを普通に書くのが恥ずかしい、というかバレるのが怖いみたいな感覚なんだと思うけど

 

最近はなんの因果か歌詞を書いたり歌ったりしている

歌詞を書いてると(たかが文章だ、っていう人もいるし文字の配列は誰しも生み出せるものなので大それたことは言いたくないが・・・・)みたいな自意識がすごいのだけど、曲が一番なのでそんな己の自意識などはうまく作用する部分だけを使うべきだと俺は思っている(それはそうだね)

 

し、本当にありがたいことに曲を作ってくれる人の腕が良すぎて、曲が好きすぎて曲、良・・・・・!!!!!!!!!!!!!!の気持ちだけで超やれている

そういう省くべき感情のマイナス面を自然とぐっと抑えて曲の良さ重視したくなる曲ってすごくないですか あんまり平均がよくわからないですが

それでも私の至らないところがあって歌詞が一発で通らないこともあるけど、何度直してくださいって言われようがそれで曲が生きるのならいい

 

ま〜た私は曲を褒めているね

 

今やってる曲についての歌詞とか気持ちは割と素直に表現できる(歌詞の雰囲気 書き方的に素直に表現できない部分もあるがそういった自覚を含めての素直さです わかりづらいですね) 他のことに関しては全くできないが

でも私は文章も書けるようになりたいし、自分が思ってることを素直に人に伝えることでどれだけ人生において大切なものを取りこぼさずにいられるかを、歌い始めてからのこの期間で身に染みて学んだので、ちゃんとした想いが発露できるよう自分の力をつけたい 強い人になりたいから

 

曲がなくても言いたいことを素直に言えるようになる訓練といえば自信は途端になくなるけど、自分自身が深い人間になるというか、何かを表現する力を身に付けたいのでアウトプットの場が必要だと思ってブログを書くことを思い立ったような気もする

日常のワンシーンでそんなにブログについて決意するのはなかなか難しいので、私の深層意識がそうさせたとでも言いたいけれど

 

最近は誤解を生んだり手放したくない何かが遠のくのを感じると電車に飛び乗って人に会いにいき、不器用に途切れ途切れの本心を吐いてみたり(その様子を文面だけにすれば多分2割も想いは伝わらないが、電車賃と手間とやる気だけでそれを誤魔化したりなど)していた 恋人とかはいませんが

 

そういう物理とか気合いで殴り得ないところも強くならないと、人としての誠実さは見込めないというか、私の魅力を高める余地はそういうところにこそあるんじゃないかと最近思っています・・・

 

あと、きっかけはまだあった

この間ちょっと悔しいことがあった

詞先で歌詞を書いてみようと何と無く考えていた矢先だった

詞先で歌詞を書くのは初めてで、暇なとき考えていても行き詰まっていたので、怒りをエネルギーにして歌詞を書いてみた いつもは曲が好きだという気持ちをバネにしていたのに、曲が無いから 強力なバネが手に入ったと思った

出来上がった歌詞はダサかった

歌詞の文字列がダサいというか、滲み出す私の精神性がダサかった

 

怒りじゃなく本当に言いたいことをバネにしたい、するべき

最近私は好きだからって曲のことばかりを四六時中考えていて、言いたいことを全部曲良、曲頼みにしている節があったのではないかと思う それは良いことだけどもっと自分サイドも受け身ではなく何かを生み出せるような人になればいいと思った

 

本当に言いたいことを曲の情景だけから汲み取るんじゃなく、自分で見つけてきて、言えるようになりたい

 

ブログの日常性をそういう発想の紐付けに使ったり記憶整理の場として使って、なおかつ自分の考えや着眼点を人に知ってもらうツールとして使えばメチャクチャに効率がいいんではないだろうか

 

なんかまた思考がぐるぐるしてきたような気もするが、やって行くぞの気概です

Twitterも手軽に言いたいこと言えていいし大好きなんだけど、ツールとして言葉が流れていきやすいし、自分の中でも忘れてしまうことが多々あるんですよね

さらっと忘れたくないこととか、書ききれない程度の文量で示したい事があったらここにまとめればいいんじゃないですか 知らないですけど

(こうやって定期的に他人事にすることで自分の恥ずかしさを消すという弱さを私は見せているわけですが、こういうものこそ克服していきたいね)

(でも私の良さもここにあるのかもしれないし、なんとなくあんまり治らない癖のような気もするので、克服したいという気持ちを持つということを目標にしよう)

 

内省!